量子コンピューティング — バイオ医薬品にどのように役立つか?

臨床基準の引き上げ、複雑な薬剤モダリティへの需要増加、開発期間の長期化により、新規分子化合物の開発はますます困難になってきています。新規化合物1件あたりの年間研究開発費(創薬から上市ま で)は推定で15億米ドル〜35億米ドルに達し、上位15社の製薬会社の年間研究開発費は2010年以来およそ約1.5倍に増加し、2030年までに最大180億ドルに達すると予測されている。1 さらに課題を複雑化させているのは、米国におけるインフレ抑制法(Inflation Reduction Act)により製品ライフサイクルが短縮されることから、イノベーションの加速を求められている点であります。加えて、2030年までのバイオ医薬品の特許期限切れによって、2,000億米ドル以上の収益がリスクにさらされる可能性があり ます。

人工知能(AI)や量子コンピューティング(QC)分野における技術的進歩は、バイオ医薬品業界が直面するスループットや支出の課題解決に役立つ可能性があるでしょうか?文献数の増加傾向からも明らかなように、過去5年間でAIは急激に成長しており、量子コンピューティングもその後に続いています(図1参照)。量子コンピューティングは量子力学の原理を活用し、従来型コンピューティングよりも指数関数的に高速で情報を処理します。かつてない処理能力と問題解決能力により、量子コンピューティングとAIがバイオ医薬品業界にもたらす変革の可能性は計り知れません。

これまでのところ、AIはその相対的な成熟度、利用しやすさ、そして市場への準備状況のために、これまでに多額の投資を受けてきました。しかし、AIの成長が量子コンピューティングの損失になるわけではありません。量子コンピューティングとAIは補完的な関係にあります。量子コンピューティングは、AIシステムの学習と推論を高速化し、従来型コンピューティングでは困難であった方法でデータを処理できる能力を可能にします。これにより、現在得ることができないコンピューターの可能性を引き出すことができます。

量子コンピューティングへの投資は世界的に拡大しています。量子コンピューティング市場への累計投 資は官民双方によって支えられており、米国で約80億米ドル、中国で約150億米ドル、そして英国・フランス・ドイツを合わせて約143億米ドルに達しています(2024年時点)。一方で、量子技術への民間投資は、資金調達環境の逼迫や金利の上昇により、COVID-19時の高水準から減少した(2022年の民間投資は全世界で23億ドル、2023年は約13億ドル)一方で、この10年間の量子関連の知的財産(IP)の開発は大幅に増加しています。

投資とIPの開発に加えて、量子情報の基本単位である量子ビット(qubit)を通じた量子コンピューテ ィングの能力は劇的に向上してています。IBMは、2016年に5量子ビットのプロセッサーからスタートし、2022年には433量子ビットのプロセッサーを実現し、2025年には1,000量子ビット超を目指しています。この進展は業界全体に及んでおり、Google、IonQ、QuEraなどの企業も量子ビット容量において著しい改善を示しています。

バイオ医薬品業界における関心の高まりが量子コンピューティング実用化への推進力となる

このような高付加価値の量子コンピューティングのユースケースが存在することから、L.E.K.コンサルティングが実施した米国および欧州のバイオ医薬品関係者約300名を対象とした調査で、90%以上が量子コンピューティングおよびその可能性を認識している結果は驚くべきことではありません。さらに、回答者の約50%(バイオ医薬品企業110社)が、主要な概念を理解しており、量子コンピューティングに触れた経験がある、あるいはその応用について調査したことがあると回答しました(図3参照)。

今回の調査では、量子コンピューティングが大きな初期的発展を遂げており、学術研究段階から専門 的な実用前の段階へと移行していることが示唆されています。この段階では、商業的価値を生み出すための基盤を築くべく、実用的なアルゴリズやアプリケーションの開発に重点が置かれています。バイオ医薬品関係者のおよそ44%は「アーリーマジョリティ」であり、量子コンピューティング導入する前にエビデンスを待っている一方で、30%はイノベーターまたはアーリーアダプターとして、積極的にイノベーションを推進しようとしています。量子コンピューティングへの投資は今後拡大する見込みであり、製薬会社の50%が今後5年間には年間200万〜1,000万米ドルの予算を計画し、20%の製薬会社が1,100万

〜2,500万米ドルを見込んでいます。これは、量子コンピューティングの利点に対する認識の高まっていることを反映しています(図4参照)。

製薬会社は、製薬バリューチェーン全体にわたって量子コンピューティングの応用を試みており、まずは創薬と臨床試験に焦点を当てています(図5参照)。

持続可能性、コマーシャル・オペレーション、製造、製品開発の分野におけるケイパビリティ拡張も、量子コンピューティング技術によって可能になると考えられます。しかし、各ユースケースでの具体的な影響や最適な量子コンピューティングのモダリティについては、まだ定義されていません。

ここ最近における量子コンピューティングの顕著な進歩は、バイオ医薬品企業に量子処理ユニットや量子技術のイネーブラー活用の必要性を高めている
この分野に高い関心と投資を背景に、量子コンピューティングの状況は急速に変化しており、エコシステム全体で大きな技術的進歩がみられています。2024年における大手テック企業の主なマイルストーンには以下がが含まれます。

  •  IBMが、最先端の量子コンピューターQuantum Heron(156論理量子ビット)を発売
  • Google Quantum AIが、超伝導量子計算システムのエラーを指数関数的に削減し、性能を向上させる新型量子チップWillowを発表
     

量子コンピューティング専業企業による進歩も著しく、これらには次が含まれます。

  •  IonQの量子コンピューターTempoが2量子ビットのゲート忠実度において99.9%を達成し、トラップドイオン技術のリーダーとしての地位を築く
  • Quantinuumは、システムモデルH2で、従来モデルよりも3倍の12論理量子ビットを達成

量子コンピューティングにおけるこれらの発展に伴いに、2つの主要なステークホルダーグループが台頭しています。それは、量子処理ユニット(QPU)を提供する企業と、量子コンピューティングのアクセスを可能にする、イネーブラーです。これらのステークホルダーは、量子コンピューティングの推進力と資金調達を牽引しています。AI関連企業との関わりと同様に、バイオ医薬品業界関係者は、量子コンピューティングエコシステムのプレーヤーと積極的に協道し、これらの技術を最大限に活用するとともにこの進化する分野で競争力を維持するべきであります(図6参照)。

特殊な市場での競争には戦略的パートナーシップが必要

量子コンピューティングエコシステムの複雑性が増す中で、ワークフローの統合を成功させるには、戦略的パートナーシップを通じてケイパビリティを構築することが不可欠になります。注目すべき協業例としては以下が挙げられます。

  •  IBM Quantum、GSK、Moderna、AstraZeneca: IBMの量子プロセッサーHeronとCondorを使って伝令RNAの研究と臨床データのインピュテーションを最適化
  • Google Quantum、Boehringer Ingelheim: Googleの量子プロセッサーSycamoreを使って創薬のための分子シミュレーションのアルゴリズムを探索

これらのパートナーシップは、製薬のワークフローへの量子コンピューティングの統合に対する業界の取り組みを強調しており、技術的課題を克服し、実用性を達成するため必要な協調的努力を浮き彫りにしています(図7参照)。社内の専門知識を構築し、外部パートナーシップを育成することは、必要な人材を迅速に活用するために極めて重要です。迅速に行動する企業は競争上の優位性を獲得し、この新興分野のリーダーとしての立場を確立することができるでしょう。

短期的な展望:量子コンピューティング、AI、従来型コンピューティングの組み合わせ

最も有望な短期的進展は、量子コンピューティングをAIおよび従来型コンピューティングと組み合わせたハイブリッドワークフローです。この組み合わせにより、核技術の強みを活かし、複雑なシステムのより正確なシミュレーション、強化された機械学習モデル、そして大規模データセットに対する高速かつ効率的なプロセス最適化が可能となります。量子コンピューティングが従来型コンピューティングやAIを補完し特に創薬と開発に飛躍的進歩をもたらすと期待しているバイオ医薬品業界関係者は70%を超えています。

例えば、Qubit Pharmaceuticalsは、低分子創薬におけるターゲット特性解析や分子動力学に量子コンピューティングを活用する一方で、AI駆動の生成モデリング、バーチャルスクリーニング、予測分析も同時に行っています。また、Qubit社はPasqal社と提携し、従来型コンピューティングと量子コンピューティングの両方を活用して、タンパク質、新規化合物、および水分子を高精度でモデリングしています。

さらに、IonQとAstraZenecaと連携し、AstraZenecaのBioVentureHub内にアプリケーション開 発センターを設立し、創薬および開発における量子コンピューティングの進展を目指しています。加えて、IonQは、NVIDIA、AstraZeneca、AWSと協力し、計算ツールを活用した創薬の推進に取り組んでおり、AWSの従来の実装と比べて、分子シミュレーションで20倍の高速化を実現しました。これにより、量子加速型のバイオ医薬品開発及び材料科学の実現に道を開いています。

さらに、AIを量子コンピューターで実行するなどの進展も期待されていますが、実現までにはより長い時間を要すると見込まれています。

これからのバイオ医薬品と量子コンピューティング

量子コンピューティングの製薬業界への統合は創薬と臨床試験に革命をもたらす大きな可能性を秘めています。量子コンピューティングは、拡張可能なハードウェア、高度なエラー緩和及び訂正、そして専用的なアルゴリズムを必要とする長期的(5〜10年)な戦略的投資ではありますが、その提供する機会は非常に大きいものです。量子コンピューティングは予測分析を強化し、臨床試験設計を最適化し、新規治療法の発見を加速することで、創薬のスピードを高め、新薬の市場投入までの時間を短縮することができます。

人材獲得や急な学習曲線といった現時点での課題にもかかわらず、戦略的投資、パートナーシップ、AIとの統合により、製薬業界は量子コンピューティングの変革的な力を活用することが可能になります。今後も協力とイノベーションの継続が極めて重要になるでしょう。

バイオ医薬品業界の関係者は、量子コンピューティングの利点を効果的に活用し、競争力を維持するために、以下の重要な問いに取り組む必要があります。

  • 自社では、特に研究開発など主要な機能での量子コンピューティングを施行し導入するための明確な計画を持っていますか?
  • 研究開発の中で、量子コンピューティングに最も適したユースケースは何ですか?それらを特定する基準は何ですか?
  • 量子コンピューティングの潜在的価値を研究開発で実現するために、外部パートナーシップや、共同研究と内部ケイパビリティのバランスをどのようにとるべきですか?
  • 量子コンピューティングを効率的に導入するために、特に人材、ハードウェア、データ基盤、ソフトウェアに関して、どのような社内の運用モデル要件を満たす必要がありますか?
  • 量子コンピューティングはどの程度AIと併用するべきですか?初期段階から統合(例:ハイブリッドなワークフロー)にすることに利点はあるのでしょうか?

れとも、統合前に独立して運用すべきでしょうか?自社にとって最適なロードマップは何ですか?

これらの問いついて検討し、戦略的に量子コンピューティングへの投資することで、製薬業界は創薬、臨床開発およびオペレーション、サプライチェーン、製造の各分野において新たな機会を活用し、飛躍的な進歩を遂げることができます。

注:L.E.K.は、Google、IONQ、Qubitを含むAIおよび製薬分野の専門家への複数のインタビューを実施し、本調査結果の裏付けと洞察の補強を行いました。

詳細については、こちらまでお問い合わせください。

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